12月10日。晴れ。
2010年12月11日
この世には不思議な事が多い。
12月10日は、父の命日。そして、この7年間、一度として晴れなかった日はないんだ。
少し、生き急いじゃった父の声を、今もはっきりと思い出す。
「もう、亡くなった人の事をいつまでも引きずるな。」
そう言われた時もあったけれど、引きずっているんじゃないんだよ?
亡くした痛みと、僕が存在する意味をずっと噛み締めている。ただ、それだけなんだ。
そこには感謝しか立ち入れない。
家族皆の想いが詰まっている。
10日の晴れた国際通りを歩いて、ここで父に初めて買ってもらったゲームソフトの喜びを思い出した。
スーツ姿がやけに似合う、ビール好きな親父は、今も遠くから赤ら顔で僕らを見守ってくれている。
父が亡くなる5日前。
僕は仕事の慰安旅行で韓国に居た。
帰りの乗り継ぎでギリギリ沖縄便に乗れず、渋々部長達と共に福岡で一泊の足止め。
デジカメなんか普及する前だったので、僕は手巻き式のいわゆる「写る○です」系の24枚撮りカメラで無邪気にシャッターを切っていたっけ。
12月にもなれば、福岡の天神はクリスマスイルミネーションで着飾られ、飛行機に乗り遅れた鬱憤を綺麗な電飾にぶつけながら写真を撮る撮る。
未だに解らないのだけれど、何故か1枚だけフィルムを残しておこう。そう思った。
翌日の朝一の便で帰沖。
午後からすぐに出社と来たものだから、家に到着するや否や荷物を広げ、Yシャツにアイロンをかけ、すでに仕事モード。
父と母は不在だった。
お土産と共に、1枚だけ残ったカメラを何となくテーブルに置き、出勤。
その時、父は行きつけの理容室で散髪をしており、元気な(本当にそう見えた)姿をお世話になった方々にと、挨拶周りをしていたそう。
帰宅し、母も何となく食卓の上にあったカメラに気付き、
『お父さん、格好良くなったから写真撮ろうね。』
と、最後のシャッターを切る。
それが、父の最期の写真となった。
どうして僕は、あの時1枚だけフィルムを残したのだろう?
常識的に、使い切る為のカメラなのに、なぜ?
その写真を現像したのは父の初七日前後。
センスの無い僕のカメラワークが滑稽でもあり、サラリーマンとしての精一杯の振る舞いが何とも微笑ましい。
そして、実家の見慣れた景色に佇む父の笑顔が見えた時、僕はこの世の不思議を涙ながらに知った。
全ての出来事に意味が在るのなら、きっとこう言う事なのだろう。と。。
こんなに清々しい笑顔は、もう何もかも準備が出来ているからこそなのかもしれない。
今でも、玄関で毎日僕を見送ってくれて、必ず帰りを迎えてくれる。
この写真を見て、僕も髭が似合う年頃になればちょい悪オヤジに成れるかも。。なんてね。w
思い出話は尽きないな。
ちょびっと入ったアルコールは、父と乾杯したからご容赦下さい。
12月10日。晴れ。
明日も、僕らしく生きて行こう。
今日と言う1日にありがとう☆
そして、貴方にありがとう☆
12月10日は、父の命日。そして、この7年間、一度として晴れなかった日はないんだ。
少し、生き急いじゃった父の声を、今もはっきりと思い出す。
「もう、亡くなった人の事をいつまでも引きずるな。」
そう言われた時もあったけれど、引きずっているんじゃないんだよ?
亡くした痛みと、僕が存在する意味をずっと噛み締めている。ただ、それだけなんだ。
そこには感謝しか立ち入れない。
家族皆の想いが詰まっている。
10日の晴れた国際通りを歩いて、ここで父に初めて買ってもらったゲームソフトの喜びを思い出した。
スーツ姿がやけに似合う、ビール好きな親父は、今も遠くから赤ら顔で僕らを見守ってくれている。
父が亡くなる5日前。
僕は仕事の慰安旅行で韓国に居た。
帰りの乗り継ぎでギリギリ沖縄便に乗れず、渋々部長達と共に福岡で一泊の足止め。
デジカメなんか普及する前だったので、僕は手巻き式のいわゆる「写る○です」系の24枚撮りカメラで無邪気にシャッターを切っていたっけ。
12月にもなれば、福岡の天神はクリスマスイルミネーションで着飾られ、飛行機に乗り遅れた鬱憤を綺麗な電飾にぶつけながら写真を撮る撮る。
未だに解らないのだけれど、何故か1枚だけフィルムを残しておこう。そう思った。
翌日の朝一の便で帰沖。
午後からすぐに出社と来たものだから、家に到着するや否や荷物を広げ、Yシャツにアイロンをかけ、すでに仕事モード。
父と母は不在だった。
お土産と共に、1枚だけ残ったカメラを何となくテーブルに置き、出勤。
その時、父は行きつけの理容室で散髪をしており、元気な(本当にそう見えた)姿をお世話になった方々にと、挨拶周りをしていたそう。
帰宅し、母も何となく食卓の上にあったカメラに気付き、
『お父さん、格好良くなったから写真撮ろうね。』
と、最後のシャッターを切る。
それが、父の最期の写真となった。
どうして僕は、あの時1枚だけフィルムを残したのだろう?
常識的に、使い切る為のカメラなのに、なぜ?
その写真を現像したのは父の初七日前後。
センスの無い僕のカメラワークが滑稽でもあり、サラリーマンとしての精一杯の振る舞いが何とも微笑ましい。
そして、実家の見慣れた景色に佇む父の笑顔が見えた時、僕はこの世の不思議を涙ながらに知った。
全ての出来事に意味が在るのなら、きっとこう言う事なのだろう。と。。
こんなに清々しい笑顔は、もう何もかも準備が出来ているからこそなのかもしれない。
今でも、玄関で毎日僕を見送ってくれて、必ず帰りを迎えてくれる。
この写真を見て、僕も髭が似合う年頃になればちょい悪オヤジに成れるかも。。なんてね。w
思い出話は尽きないな。
ちょびっと入ったアルコールは、父と乾杯したからご容赦下さい。
12月10日。晴れ。
明日も、僕らしく生きて行こう。
今日と言う1日にありがとう☆
そして、貴方にありがとう☆
Posted by 高良篤人 ギタリスト・起業家・投資家 at 06:54│Comments(0)
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